いざ、鎌倉フロンティアへ!月間「温故知新」鎌倉
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  月間「温故知新」鎌倉No.40 − 2004年11月1日(月)  
 
いざ、鎌倉フロンティアへ!40 2004.11月号
新潟中越地震から学ぶもの
先日、新潟中越地震の被災地へ行き、微力ながら復旧活動のお手伝いをしてまいりました。現地で迷惑を掛けないように、事前に情報収集をし、食料や水を確保してから向かいました。

(スケジュール)

10月31日】
車で出発
中央自動車道→北陸自動車道で新潟県柏崎市へ(宿泊)
【11月1日】
車で長岡市ボランティアセンターへ。
避難所(石坂小学校)のお手伝い(川口町の河川敷にある避難所で車中泊)
【11月2日】
十日町市
ボランティアセンターへ。被災者宅で片付けのお手伝い(長野市で宿泊)
初日、長岡市の災害ボランティアセンターに伺った  ところ、たくさんのボランティアが集まっており、次々と仕事が与えられ、持ち場へと移動をしていきました。
私達は、まだ500人以上
の方が避難をしている小学校避難所へ行き、清掃などのお手伝いをしました。

避難所になっている体育館へは、みんな土足であがる為、砂がたくさん落ちていて毛布も汚れ、とても不衛生でした。雨が降ったら大変です。土足禁止にするなどの工夫が必要だと感じました。

避難所の方の話では、『お陰様でおにぎり・パンはたくさんいただいています。しかし、みんなそろそろ飽きているので、ぜいたくを言えば、暖かいお味噌汁や豚汁のようなものがあると、嬉しいです』とのことでした。実際、炊き出しボランティアが現地でとても喜ばれているようでした。
反面、古着などがたくさん送られてきておりましたが、『気持ちはありがたいのですが・・・あまり使いません』と言っていました。
避難所は、各地域ごとに
分かれてまとまり、それぞれ役割分担を決め、お互いが助け合って生活をしている様が見てとれました。
普段からコミュニケーションがとれていると、こういった時にも協力がしやすいと感じます。

川口町避難所には「狛江市」と書かれたテントやトイレがたくさんありましたが、川口町と東京都狛江市は1988年に「災害援助協定」を結び、毎年消防団が合同訓練を行っていたそうです。今回の被災で道路が寸断され孤立した川口町に陸路で1番に乗り込んだのが、狛江市の職員と消防団だったそうで、平時からの連携の重要性を物語っていました。

街中を見ると、長岡市内の至る所で道をふさぐほどのごみが出されていました。
家の中を掃除すると、家具や崩れた壁など大量のゴミが出ます。またごみ焼却所が被災してしまったところでは、ごみの処理に支障をきたしているようです。復興作業の過程の中での大きなポイントです。
また震度7を記録した川口町では、倒壊した建物が数多くありましたが、その多くは見るからに古い建物です。
今回、新潟へ行き、改めて感じたことは、普段から基本的なことをしっかりと行っておくことの重要性でした。
@家具が倒れないように固定されているでしょうか?
Aガラス窓は、割れても飛び散らないようにフィルムなどが貼ってありますか?
B防災用品は揃えてあるでしょうか?
C避難場所は家族で把握しているでしょうか?

当たり前のことですが、これだけのことでも、かなりの部分の被災によるストレスが解消されます。
 
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